長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】鳥海 感謝を胸に新天地へ (3月 … – 長崎新聞



「地元の応援は、自分が頑張る糧になる」と語る鳥海。18年過ごした長崎を離れ、新しいステージへ飛びたつ=西海市大島町
「地元の応援は、自分が頑張る糧になる」と語る鳥海。18年過ごした長崎を離れ、新しいステージへ飛びたつ=西海市大島町

 高校3年生で昨夏のリオデジャネイロ・パラリンピックを経験した車いすバスケットボール日本代表の鳥海連志(佐世保WBC、大崎高)。この春、日体大へ進学するため、生まれ育った長崎を離れる。エースとして期待されている東京パラリンピックへの決意、自らの基礎を培った古里への思いなどを聞いた。

 −中学1年の夏に出合った車いすバスケット。そのころ、今の自分の姿を想像できたか。

 できなかった。中学時代の自分はきっと、今の自分を「すごい」と感じると思う。ただ、高校生でパラリンピック出場は予想外だったけれど、日本代表には入るつもりでいた。だから、そこへの驚きはなかった。

 −その代表で学んだこと、成長した点を。

 合宿や遠征でいろんな経験を積んだことで、以前は初対面の人と話すのがあまり得意ではなかったが、今はコミュニケーションなどを自分からできるようになった。体のケアや栄養、睡眠に気をつけたり、バスケに対する姿勢も真面目になった。

 −プレー面は。

 かなり変わった。それがいいことなのかは分からないけれど、感情を表に出したプレーも増えた。日本代表、U−23日本代表、県選抜、所属チームのそれぞれから求められる役割に応えたいと思っている。役割が大きくなれば、責任も大きくなるが、自分の思いや感じたことを、だいぶ言葉やプレーで表現できるようになった。

 −高校生活を振り返ってみて。

 人生が大きく変わった。1年生の後半から、毎月のように代表合宿や遠征に呼ばれるようになり、学校との両立は大変だった。3年生になると課題も増えて、進路などを考えることも多く、海外遠征や合宿のたびに体調を崩していた。しんどい時期もあったけれど、大きかったのは友達の存在。授業の遅れなど、いろんな面で親身になって応援してくれた。バスケから離れて、どうでもいいような話ができる時間もありがたかった。

 −進学先を日体大に決めた理由を。

 関東の大学で考えた時に、日体大ならスポーツ心理学や栄養学、コーチングなどが学べて、自分のバスケに生かせる。五輪やパラの日本代表も多いので、遠征などの事情にも理解があり、大学生活と代表活動の両立もしやすいと思った。ただ、海外でプレーする夢も捨てていない。明らかに今からでも海外に行った方がいいと思ったら、大学の途中からでも挑戦するかもしれない。

 −所属チームは。

 大学がある横浜市で1人暮らしをするので、一番拠点が近い「パラ神奈川SC」というチームでプレーする。移籍は6月なので、5月の日本選手権が佐世保WBCとして最後の試合になる。

 −東京パラへの思いを。

 自国開催に向け、応援してくれる人たちも増えてきた。以前は「一つの通過点」だったが、今は自分にとって「東京パラで金メダル」が大きな目標になっている。

 −家族をはじめ、長崎の人たちへ。

 どこに行くにも母に送り迎えしてもらったり、家族には資金面も生活面も全部頼っていた。今でも分かっているつもりだけれど、1人暮らしを始めた時に、そのありがたさを一番に感じるんじゃないかと思う。中1からずっと一緒に練習してきた佐世保WBCや長崎サンライズのメンバーと離れるのも寂しい。いろいろとお世話になり、感謝しかない。ほかにも、支えてくれたたくさんの人たちへ、関東で「頑張っている」ということを結果で示したい。

◎ちょうかい・れんし

 手脚に先天性の障害があり、3歳で両膝下を切断。大崎中1年時に佐世保WBCで車いすバスケットを始めた。スピードやディフェンス力を武器に、2013年から若手世代の各種国際大会を経験。15年度から日本代表に定着すると、チーム最年少の17歳で16年夏のリオデジャネイロ・パラリンピックに出場した。昨季は本県選抜の主将を務め、全国障害者スポーツ大会でチームの初優勝に貢献。長崎市出身、小学6年時から西海市大島町で暮らした。




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